| 1952年 | ケルンに生まれる |
| 1975-76年 | カリフォルニア美術研究所、ヴァレンシア(アメリカ合衆国) |
| 1976-79年 | ケルン大学哲学科で学ぶ |
| 1992年 | カルルスルーエ造形大学教授 |
| 1996年現在 | ケルンに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1978年 | ボン:フィロメーヌ・マーゲルス画廊 |
| 1988年 | メンヒェングランバッハ:市立アプタイべルグ美術館 |
| 1989年 | ストックホルム近代美術館 |
| 1990年 | ハノーファー:ケストナー協会 |
| 1991年 | 「ブラッタイン&バーディーン」ケルン:ダーニエール・ブーフホルツ・ギャラリー ロンドン現代美術研究所(ICA) ライプツィヒ:ギャラリー「アイゲン+アート」 |
| 1993年 | ケルン:デジレ・フォイアーレ・ギャラリー 「ジャム・ジャム・プロジェクト」ケルン芸術協会 |
| 1995年 | 「アルトーは兵士たちの前で語る」ボン:連邦芸術展示ホール |
| 1996年 | 「2つ、そして3つの新しい仕事」ハンブルグ:デリー&プリース・ギャラリー 「反プロジェクト」ケルン:デジレ・フォイアーレ・ギャラリー |
| グループ展(抄録) |
| 1974年 | ケルン:オッペンハイム・スタジオ |
| 1980年 | 第11回パリ・ビエンナーレ、ポンピドゥ・センター |
| 1982年 | 「ドイツのビデオ芸術 1963-82」ケルン芸術協会 |
| 1984年 | ヴェネツィア・ビエンナーレ、国際パビリオン |
| 1987年 | ドクメンタ8、カッセル:フリーデツィアーヌム美術館 |
| 1988年 | 「不可能なる自己」バンクーバー:ウィニペグ・アート・ギャラリー |
| 1989年 | 「ビデオ/彫刻」ケルン:デュ・モン美術館 |
| 1995年 | 「空想と幻影」リンツ:オープン文化会館 「錯覚・情動・現実性」チューリヒ:百年映画館、芸術会館 |
| 1993年 | 第8回リヨン・ビエンナーレ 「隠蔽/暴露」サイト・サンタフェ、ニューメキシコ |
|
| 1930年 | エルツゲビルゲのアンナベルグに生まれる |
| 1944年 | 最初の水彩画、コラージュ、詩 |
| 1948年以降 | 実験的試作の試み、最初の音響イメージ |
| 1958年以降 | 活字による文字フィールド、音節・音韻循環や言語処理の録音 |
| 1961年以降 | 両面に書かれた言葉の紙 最初のスピーチ・シート |
| 1963年 | 歴史哲学的コンビナートの構想 |
| 1977年 | グラフィックアート・シリーズ「アウローラ」 グループ「クラーラ・モーシュ」会員(1982年まで) |
| 1987年 | 「集積K」終了 |
| 1991年 | ベルリン芸術アカデミー会員 |
| 1992年 | ドレースデン造形芸術大学名誉教授 |
| 1996年現在 | ケムニッツに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1962年 | 「個人的な夢」フライブルク:ドクター・ハンス・グリュス |
| 1964年 | バーデンバーデン:クンストハレ |
| 1968年 | マクデブルク:文化連盟クラブ |
| 1974年 | ポズナイン:ギャラリー・アクミュラトリー2 |
| 1975年 | ベルリン:ギャラリー・アルカーデ |
| 1976年 | メラーネ(ザクセン):地方文化会館 |
| 1978年 | ドレースデン近郊のローゼンドルフ:核物理学研究所 |
| 1979年 | カルル・マルクス・シュタット:ギャラリー「クラーラ・モーシュ」(K.ソボレフスキーと共に) |
| 1980年 | ドレースデン:銅版画陳列室 |
| 1982年 | ライプツィヒ:モーリッツバスタイ |
| 1987年 | アンナベルク:ギャラー・アム・マルクス(K.ソボレフスキーと共に) |
| 1989年 | ツヴィッカウ:市立美術館 |
| 1990-91年 | 「瞬時の目覚め」ミュンスター、フランクフルト・アム・マイン、ビーレフェルト、ミュンヘン、ハンブルク |
| 1992年 | ヘント:ファン・ヘーデンダークセ美術館(G.バゼリッツと共に) |
| 1993年 | ロイトリンゲン:市立美術館 |
| 1995年 | 「思考風景」アルテンブルク、ロンドン |
| 1995年 | 「アウローラ」ロストック:クンストハレ 「音過程/空間」ケムニッツ |
| 1996年 | 「思考風景」ジェノヴァ |
| グループ展(抄録) |
| 1961年 | ヴッパータール:カログラム |
| 1962年 | ベルリン:ハウス・アム・ヴァルトゼー |
| 1963年 | アムステルダム:市立美術館 |
| 1965年 | 「第2回実験詩の国際展」オクスフォード |
| 1968年 | 「視覚詩」カルルスルーエ |
| 1970年 | チューリヒ:ヘルムハウス |
| 1973年 | ローマ:ヴィッラ・ボルゲーゼ |
| 1974年 | ベルリン:銅版画陳列室 |
| 1977年 | カルル・マルクス・シュタット:ギャラリー「クララ・モーシュ」 |
| 1979年 | 第6回版画ビエンナーレ、ブラットフォード |
| 1981年 | パリ市立近代美術館 |
| 1982年 | 第9回ドイツ民主共和国美術展、ドレースデン |
| 1983年 | ハノーファー芸術協会 |
| 1984年 | オクスフォード近代美術館 |
| 1987年 | 第10回ドイツ民主共和国美術展、ドレースデン |
| 1989年 | ケンブリッジ:ハーヴァード大学 |
| 1990年 | ロサンジェルス:オーティス・パーソンズ・ギャラリー |
| 1992年 | アーヘン芸術家連盟 |
| 1994年 | ベルリン芸術アカデミー |
| 1995年 | ベルリン:マルティン・グローピウス・バウ |
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| 1940年 | ツヴィッカウに生まれる |
| 1959-64年 | ライプツィヒ版画製本大学でベルンハルト・ハイジヒのもとで学ぶ |
| 1979-83年 | ライプツィヒ版画製本大学で教える/実験的芸術 |
| 1985年 | デュッセルドルフ「芸術家美術賞」受賞 ライプツィヒ芸術自由アカデミーを共同設立 |
| 1996年現在 | ライプツィヒに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1973年 | 「時間の芸術」ライプツィヒ |
| 1982年 | カルル・マルクス・シュタット:ギャラリー・オーベン アルテンブルク:州立リンデナウ美術館 |
| 1986年 | フランクフルト・アム・マイン:ギャラリー・ギーリヒ デュッセルドルフ:ギャラリー・ツィンマー |
| 1988年 | ニューヨーク:ギャラリー・プラカパス デュッセルドルフ:ギャラリー・ツィンマー ライプツィヒ:ギャラリー「アイゲン+アート」 |
| 1989年 | フランクフルト・アム・マイン:ギャラリー・ギーリヒ |
| 1990年 | ヴァイマール市立博物館ゲーテ広場陳列室 ベルリン:アルテス・ムゼウム内、新ベルリーナ・ギャラリー カルル・マルクス・シュタット市立美術館 |
| 1991年 | マクデブルク:聖母マリア大聖堂修道院 デュッセルドルフ:ギャラリー・ツィンマー |
| 1992年 | フランクフルト・アム・マイン:ギャラリー・ギーリヒ |
| 1993年 | ダルムシュタット:クンストハレ |
| 1994年 | フランクフルト・アム・マイン:ギャラリー・ギーリヒ |
| 1995年 | マールブルク大学美術館 |
| 1996年 | ライプツィヒ造形美術館(回顧展) デュッセルドルフ:ギャラリー・ツィンマー |
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| 1940年 | ベルリンに生まれる |
| 1958年 | ケルン大学で学ぶ(中国文学・ドイツ文学・英文学) |
| 1960年 | ロンドンに滞在 |
| 1962年 | バーゼル大学で学ぶ(先史学) |
| 1990年 | ブレーメンのローランド賞「公共スペースにおける芸術」部門受賞 |
| 1996年 | ドイツ批評家賞(造形芸術部門)受賞 1966年からパリ在住 |
| 個展(抄録) |
| 1974年 | キール:クンストハレ ボーフム:美術館 |
| 1975年 | パリ市立近代美術館 ARC2 カルルスルーエ:バーデン芸術協会 デュースブルク:ヴィルヘルム・レームブルック美術館 |
| 1976年 | ヴェネツィア・ビエンナーレ、ドイツ館(J.ボイス、R.ルーテンベックと共に) |
| 1977年 | ミュンヘン:レーンバッハハウス市立ギャラリー ハノーファー:ケストナー協会 オポルト:ソアレス・ドス・レイス国立美術館現代美術センター リスボン:カルースト・グルベンキアーン財団 |
| 1979年 | ジュネーブ:現代芸術センター ルツェルン:美術館 |
| 1980年 | フランクフルト芸術協会 |
| 1981年 | ビーレフェルト:クンストハレ |
| 1988年 | デュッセルドルフ:ノルトライン・ヴェストファーレン美術コレクション ヴィーン現代美術館 |
| 1990年 | ハンブルク:クンストハレ |
| 1992年 | ブレーメン:ヴェーザーブルク新美術館 |
| 1993年 | カルルスルーエ:バーデン芸術協会 マンチェスター:コーナーハウス アルテンブルク:州立リンデナウ美術館 ポツダム:旧市庁舎 マンチェスター:シティー・アート・ギャラリー モー:ボスュエ美術館 |
| 1994年 | ストラスブール現代美術館 バンクーバー・アート・ギャラリー |
| 1995年 | ニューポート・ビーチ(LA):ニューポート港美術館 テルアビブ大学美術館 ニューヨーク州パーチェス:ニューバーガー美術館 |
| グループ展(抄録) |
| 1970年 | 「具体詩」アムステルダム市立美術館 |
| 1974年 | 「ADA2」ベルリン:ベルリン・フェスティバル 「ビデオ」パリ市立現代美術館 |
| 1976年 | ヴェネツィア・ビエンナーレ、ドイツ館(ボイス、ルーテンベックと共に) |
| 1977年 | カッセル、ドクメンタ6 「ポジションズ」フルムベック、ルイジアナ美術館 「言葉」ニューヨーク:ホイットニー美術館 |
| 1979年 | シドニー・ビエンナーレ |
| 1980年 | ダブリン:ロスク |
| 1982年 | 「ドイツのビデオ・アート:1963-82」ケルン、芸術協会 |
| 1985年 | 「ドイツ連邦共和国の芸術:1945-1985」ベルリン、ナショナル・ギャラリー |
| 1986年 | 「眼の裏側」サンフランシスコ近代美術館 |
| 1987年 | カッセル:ドキュメンタ8 |
| 1988年 | 「事実上の……」コペンハーゲン:王立アカデミー |
| 1989年 | 「ドイツ芸術への視線」モントリオール:現代美術館 |
| 1990年 | 「1968年ころ:芸術と社会における具体的なユートピア」デュッセルドルフ、美術館 |
| 1992年 | シドニー・ビエンナーレ |
| 1994年 | 「限界を超えて」パリ:ポンピドゥ・センター |
| 1995年 | 「我が兄、アベルは何処?」ワルシャワ:ザヘタ現代美術ギャラリー |
| 1996年 | 「歴史に目を向ける」パリ:ポンピドゥ・センター |
|
| 1960年 | ノイシュトレリッツに生まれる |
| 1976-82年 | さまざまな職を経験 |
| 1982-89年 | ドレースデン造形芸術大学に学ぶ |
| 1986-90年 | ミヒャ・ブレンデル、エルゼ・ガーブリエール、フォルカー(ヴィア)レヴァンドフスキーと芸術の共同制作(1987から《オート・パーフォレーション・アーティスト》) |
| 1992年 | アメリカ合衆国に留学、中央アメリカ芸術連盟奨学金授与 |
| 1996年現在 | ベルリン在住 |
| 個展(抄録) |
| 1985年 | 「バッハオーフェン・オブジェ」(物と紙、パフォーマンス)ベルリン:トレプトフ地方文化会館ギャラリー |
| 1986年 | 「二重ガラスのなかの自己」(文字画像とアクション)ベルリン:国立美術館群クラブ、ショーウィンドウ・ギャラリー |
| 1987年 | 「背景の人物」ドレースデン造形芸術大学の講堂に画像を設置 |
| 1989年 | 「リレー」ベルリン:ギャラリー85、ツァイヘンロイメ・ウント・エタート・アート 「ミドガルト・プロジェクト」(ジオラマ)ドレースデン:造形芸術大学 |
| 1990年 | 「体質のなかヘ:遺伝的彫刻群」ライプツィヒ:ギャラリー「アイゲン+アート」 |
| 1991年 | 「ファシス」シュトゥットガルト:ギャラリー・ビショフ |
| 1992年 | 「生存圏III」アリゾナ州ツーソン(アメリカ合衆国) |
| 1993年 | 「501-第七大陸から」ライプツィヒ:ギャラリー「アイゲン+アート」 |
| 1994年 | 「未知の大地」シュトゥトガルト:ギャラリー・ビショフ |
| 1995年 | 建築コンペ、エンゲン、フランクフルト・アン・デア・オーデル、シュテンダール、ベルリン |
| 1996年 | 「操業停止:気象サミットのための産業向けアクション」、ベルリン |
| 1996年 | 建築コンペ、ベルリン、シュトラウスベルク、ポツダム 「ソフトなハードウェア/ハードなソフトウェア」ヴァスコヴィアク:ギャラリー・ビショフ |
| グループ展(抄録) |
| 1985年 | 「ゆっくりと湿っていく」ドレースデン美術アカデミー |
| 1986年 | 「音楽・融合・画像」ベルリン:クラブ・インターナショナル 「ヴォルト・モルト・オルト(言葉・殺人・場所)」ベルリン:演出研究所 |
| 1987年 | 「空間S」ドレースデン:芸術アカデミー |
| 1988年 | 「アトリエの若い芸術家」ベルリン:芸術アカデミー 「さあ、拘留だ」ライプツィヒ:ギャラリー「アイゲン+アート」 「干潮から満潮まで」ドレースデン:レーオンハルディー美術館 |
| 1989年 | 「ミュンツァーを追って」エアフルト:伝道修道院 「永久芸術会議」ベルリン:ギャラリー白象 「伝統と革新」ドレースデン:レーヴァークーゼン、ハンブルク 「幕間狂言」ベルリン:ベターニエン・キュンストラーハウス |
| 1990年 | 「壁の向うのもうひとつのドイツ」パリ:ラ・ヴィレット |
| 1991年 | 「差異の了解」ニュールンベルク:クンストハレ 「メトロポリス」ベルリン:マルティーン・グローピウス・バウ 「依存」パリ:「アイゲン+アート」 「ベルリン・アート・シーン」日本(徳島県立近代美術館他) |
| 1992年 | 第9回シドニー・ビエンナーレ |
| 1993年 | 「アート・シーン・ベルリン」ホンコン、シンガポール |
| 1994年 | 「影の跳躍」ワルシャワ:ザメク・ウジェフドフスキー |
| 1995年 | 「輸送」モスクワ:マネージュ展示センター 小彫塑トリエナーレ、シュトゥットガルト |
|
| 1946年 | チェコスロバキアのゼミリーに生まれる |
| 1956-67年 | プラハの造形芸術アカデミーで学ぶ |
| 1967-68年 | ミラノ、ブレーラ・アカデミーで学ぶ |
| 1968-71年 | プラハの造形芸術アカデミーで引き続き学ぶ |
| 1985年 | ドイツ連邦共和国に亡命 |
| 1988年 | ミュンヘン造形芸術アカデミー客員教授 リューベックのオーヴァーベック造形芸術賞受賞 |
| 1989年 | ダルムシュタット市芸術賞受賞 |
| 1990年以降 | デュッセルドルフ州立美術アカデミー教授 |
| 1991年 | シュトゥットガルトのマックス・リュッツェ賞受賞 |
| 1993年以降 | プラハ城評議会顧問 ベルリン芸術アカデミー名誉教授 |
| 1996年現在 | ベルクハイム在住 |
| 個展(抄録) |
| 1979年 | プラハ:ネルドーヴァ通の劇場 |
| 1986年 | バーデンバーデン:州立クンストハレ |
| 1987年 | ニューヨーク:近代美術館企画室 |
| 1988年 | ハンブルク:クンストハレ |
| 1989年 | リューベック:オーヴァーベック協会、カタリーナ聖堂 |
| 1990年 | ゲッピンゲン市立ギャラリー |
| 1991年 | マンチェスター:コーナーハウス・ギャラリー、ハリーフォックス:ディーン・クラフ |
| 1993年 | 「アイスランド・プロジェクト」プラハ:ベルヴェデーレ |
| 1994年 | 「トランスロケーション」ハノーファー、芸術協会 |
| 1996年 | 「トランスロケーションII」ダルムシュタット:マティルデンヘーエ研究所 |
| グループ展(抄録) |
| 1981年 | 「ドヴォルキ81」プラハ |
| 1982年 | 「20世紀の椅子」プラハ:美術工芸博物館 |
| 1983年 | 「ニュー・アート」ロンドン:テイト・ギャラリー |
| 1986年 | 第6回シドニー・ビエンナーレ |
| 1987年 | カッセル:ドクメンタ8 |
| 1988年 | 「索引」アントウェルペン:現代美術館 「オーヴァーベック賞受賞者展」リューベック:オーバーベック協会 |
| 1990年 | 「生活から/芸術のなかへ」アントウェルペン:現代美術館 |
| 1991年 | パリ:リュクサンブール宮 シカゴ:アートセンター |
| 1993年 | 「中間にあるもの:火、地、水、空」ハンブルク:南ダイヒトーアハレ |
| 1995年 | フィレンツェ:ウフィッツィ美術館 |
| 1996年 | 「フリードスカルプチュア」アーヘン:ルートヴィヒ・フォーラム |
| 演劇関連 |
| 1989年 | 『ペンテジレア』(ハインリヒ・フォン・クライスト作) 演出:ヘルベルト・ケーニヒ 舞台:マクダレーナ・イェテロヴァ 衣装:エーファ・デッセカー デュッセルドルフ劇場小劇場 |
| 1993年 | 『あるいは、悲惨な上陸』(ハイナー・ゲッベルス作) 原作:ヨーゼフ・コンラート、ハイナー・ミュラー、フランシス・ポンジュ 音楽と演出:ハイナー・ゲッベルス 舞台スペース:マクダレーナ・イェテロヴァ 衣装:アレクサンドラ・ピッツ フランクフルト・アム・マイン、テアーター・アム・トゥルム 協力:ATEM、パリ、ナンテール・アマンディエ劇場 |
|
| 1952年 | キールに生まれる |
| 1978年以降 | ロバート・ウィルソンと共に、劇場、映画、展覧会のために30点以上を制作 |
| 1989年以降 | ローリエ・ブース、花柳壽々紫、スティーヴ・パクストン、ダナ・ライツ、和田淳子のための舞曲 |
| 1990年 | 『怪しき土地』の音楽制作がニューヨークのベッシー賞受賞 |
| 1991年 | ベルリン、ベターニエン・キュンストラーハウスのアトリエに滞在 |
| 1992年 | 「ベルリン市政府のアトリエ計画」ニューヨーク、PS1美術館 |
| 1993年 | ロバート・ウィルソンと共に制作したインスタレーション「記憶/喪失」によってヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞受賞 |
| 1994年 | 大阪の花柳壽々絹賞 |
| 1996年現在 | ベルリン在住 |
| 展覧会(抄録) |
| 1984年 | ベルリン:国立クンストハレ |
| 1985年 | ミュンヘン:ガスタイク文化センター |
| 1987年 | ベルリン:ハウス・アム・ヴァルトゼー |
| 1988年 | ベルリン:ラーデン・フュア・ニヒツ シュトゥットガルト:ヴュルテンベルク芸術協会 ベルリン:シュタット・ムジークE88 リンツ:アルス・エレクトロニカ |
| 1989年 | ブレーメン現代美術協会 |
| 1991年 | ボストン:マサチューセッツ芸術大学 ボストン美術館 ヒューストン:現代美術館 サンフランシスコ近代美術館 パリ:ポンピドゥ・センター ベルリン:芸術アカデミー ベルリン:ギャラリー・フラジャイル協会 |
| 1992年 | ポツダム芸術倉庫 ベルリン:ポデヴィル、ベルリン新音楽協会 「5つのフロア」ロンドン:アートエンジェル ベルリン:ベターニエン・キュンストラーハウス ニュヨーク:P.S.1美術館 |
| 1993年 | アイントホーフェン:アポロンの家 ベルリン:フラジャイル協会ギャラリー ロッテルダム:ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館 ヴェネツィア・ビエンナーレ ブラジルベロ・ホリゾンテ、UFMG 文化センター ベルリン:ギャラリー・クラウス・フッシャー |
| 1994年 | ブラジリア:SOMブラジリア音楽祭、 マール:グラースカステン彫刻美術館 |
| 1995年 | ハノーファー:サウンド・アート ビルバオ:カルタ・ブランカ ロンドン、アート・エンジェル |
| 1996年 | ギャラリーかまくら 東京 「音環境:聴と視のためのフェスティバル」ベルリン:芸術アカデミー |
| レコード目録 |
| 1991年 | 「その日の前夜」ボストン美術館 |
| 1991年 | 「ボジャングルズ氏の思い出」パリ:ポンピドゥ・センター |
| 1992年 | 「ハンス・ペーター・クーン」ベルリン:ベターニエン・キュンストラーハウス |
| 1993年 | 「赤・黄・青」ベルリン:ギャラリー・クラウス・フィッシャー |
| 1994年 | 「サウンドスペース・ブラジリア」ブラジリア:ゲーテ・インスティトゥート |
| 1995年 | 「ブックカバーで本は判断できない」(H・ツィシュラーとの共作)ベルリン:メルフェ出版 |
|
| 1954年 | 生まれる |
| 1996年現在 | ベルリンと、イタリアのリパトランソーネに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1979年 | 「ライムント・クマー:5月27日から6月10日」(解体され塗装された放熱器)」ベルリン:リュツォウシュトラッセ/ズィトゥアツィオーン |
| 1985年 | 「ライムント・クマー(二重の身体)」シュトゥットガルト:キュンストラーハウス |
| 1981年 | 「部品I:ライムント・クマー(バナナ・マイナス・トゥー・ストップス)」ミュンヘン:レーンバッハハウス市立ギャラリー、クンストフォーラム |
| 1987年 | 「ライムント・クマー(聖墳墓)」メルボルン:オーストラリア現代芸術センター |
| 1989年 | 「ライムント・クマー(ザバイオーネ)」アムステルダム:アペル財団 |
| 1991年 | 「天空」(シュテファン・フーバーと共に)ハンブルク:クンストハレ |
| 1992年 | 「オレンジ・ハウス産植物の出港と入港に関して:オランジュリーにもっと光を」(シュタイアマルクの秋)、ポツダム:サンスーシ宮殿 |
| 1995年 | 「ビソドメイン」ニューヨーク:アーティスト・スペース |
| 1996年 | 「硝子体」ハノーファー:芸術協会 |
| グループ展(抄録) |
| 1980年 | 「地下鉄駅デルタ線の新演出、ライムント・クマー、ヘルマン・ピッツ、フリッツ・ラーマン、4月3日4:15-0:47(3人の男性モデル)」ベルリン:ビューロー・ベルリン |
| 1981年 | 「今日のドイツ美術」(蒸気杭打ち機)パリ:市立近代美術館 |
| 1983年 | 「劇場にて」ベルリン:ビューロー・ベルリン/ヘッベル劇場 |
| 1984年 | 「拡散」(タパチュラ)モントリオール:現代美術館 |
| 1986年 | 「ビューロー・ベルリン:或る制作概念」(フリッツ・ラーマンとヘルマン・ピッツと共に)ベルリン:ベターニエン・キュンストラーハウス |
| 1987年 | 「委託により:公共空間の彫刻(敷居)」エッセン:フォルクバンク美術館 |
| 1988年 | 「アペルト88(回顧展)」ヴェネツィア・ビエンナーレ |
| 1989年 | 「90年代のために」ミラノ:現代美術展示館、イスタンブル:ヨーロッパ・アート・フェスティバル |
| 1990年 | 「レディメイドのブーメラン」第8回シドニー・ビエンナーレ |
| 1992-94年 | 「芸術・故郷・芸術」グラーツ:シュタイアマルクの秋 |
| 1995年 | 「小世界」デュッセルドルフ:ギャラリー M.+R. フリッケ 「往復書簡:シカゴとベルリン」シカゴ:美術工芸学校文化事業部、建築大学、文化センター |
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| 1960年 | ベルリンに生まれる |
| 1976-86年 | ベルリン、ヴァイセンゼー美術大学で、ハインリヒ・テスマーに師事 |
| 1989-92年 | ベルリン芸術アカデミー職業学校で、ヴェルナー・シュテツァーに師事 |
| 1994年 | ベルリン市政府大臣文化奨学金授与 |
| 1996年 | 社団法人ボン芸術基金奨学金授与 |
| 1996年現在 | ベルリン在住 |
| 個展(抄録) |
| 1987年 | ベルリン:国立美術館群ユーゲント・クラブ |
| 1988年 | ベルリン:造形芸術スタジオ |
| 1991-93年 | ベルリン:アルテス・ムゼウム・ギャラリー |
| 1993年 | ノイシュトレリッツ:ギャラリー・レフューギウム ベルリン:ギャラリー白象 |
| 1995年 | ロストック:クンストハレ ロストック:ギャラリー・レフューギウム |
| 1996年 | マクデブルク:聖母修道院美術館(マルティン・アーシヒと共に) ベルリン:ヴァイセンゼー芸術協会、ブレヒトハウス |
| グループ展(抄録) |
| 1986年 | ベルリン:芸術アカデミー |
| 1987年 | ベルリン:アルテス・ムゼウム・ギャラリー 「Prin Atelierele unor Pictori din RDC」ブクレシュチ国立美術館、クルジ美術館 「ミヒャエル・ヘーゲヴァルト、マルク・ランメルト、アンドレーアス・ザーラウス」ベルリン:アルテス・ムゼウム・ギャラリー |
| 1988年 | 「遭遇:ゼクタニ」ベルリン:アルテス・ムゼウム・ギャラリー、エアフルト:フィッシュ・マルクト・ギャラリー 「第1回クァドリナーレ:ドイツ民主共和国の素描」ライプツィヒ造形美術館 「素描:40年からの選択」ベルリン:アカデミー・ギャラリー 「コールデン、ランメルト、ヴォージュ」ベルリン:パリザー・プラッツ・ギャラリー 「逆もまた同じ」ハールレム:フランス・ハルス美術館 「ベルリーナ・カビネットII」ベルリン:ギャラリー・イン・トゥルム |
| 1992年 | 「ターニング・ポイント」サンダーランド:北部現代芸術センター 「紙の上に……」シュヴェリーン:州立美術館 「女」ベルリン:ヴァイセンゼー芸術協会 |
| 1993年 | 「職業学校生」ベルリン:マルシュタル芸術アカデミー 「アカデミー93」ベルリン:芸術アカデミー |
| 1994年 | 「プリント・ポートフォリオとマルティプルズ」シカゴ:オスカー・フリードル・ギャラリー、ゲーテ・インスティトゥート |
| 1995年 | 「第10回素描ナツィオナーレ」アウクスブルク:ツォイクハウス 「鋭い視線」ボン:連邦クンストハレ |
| 1996年 | 「ベルリニシェ・ギャラリー所蔵のグラフィック・コレクションから100の素描」ベルリン |
| 劇場関連の仕事 |
| 1993年 | 『ドゥエル/トラクトア/ファッツァ』(ハイナー・ミュラー/ベルトルト・ブレヒト作) 演出:ハイナー・ミュラー 舞台装置:マルク・ランメルト、ステファニー・ピュルクレ 衣装:バルバラ・ナウヨク ベルリーナ・アンサンブル |
| 1995年 | 『フィロクテテス』(ハイナー・ミュラー作) 演出:ヨーゼフ・ザイラー 舞台装置:マルク・ランメルト 衣装:マルク・ランメルトとヨーゼフ・スツァイラー ベルリーナ・アンサンブル |
『ゲルマニアIII:殺された男の幽霊』(ハイナー・ミュラー作) 演出:ハイナー・ミュラー 舞台装置:マルク・ランメルト ベルリーナ・アンサンブル 1996年1月2日に打ち切り |
| 1996年 | 『エッダ:ニーフルングの歌』 演出:ヴォルフガング・シュトルヒ 舞台装置:マルク・ランメルト ドレースデン、ヘレラウ祝祭劇場、エアフルト、跣足修道士教会、テューリンゲン、ヨーロッッパ文化センター |
『ゲルマニアIII 殺された男の幽霊』(ハイナー・ミュラー作) 演出:ジャン・ジュルドゥイユ 舞台装置:マルク・ランメルト リスボン、ベレン文化センター |
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| 1952年 | ベルリンに生まれる |
| 1996年現在 | ミュンヘン在住 |
| 個展(抄録) |
| 1982年 | ミュンヘン:クンストラウム |
| 1984年 | ベルリン:daad ギャラリー |
| 1985年 | ベルリン:ギャラリー・ファーネマン |
| 1989年 | ケルン:ギャラリー・ルドルフ・ツヴィルン |
| 1990年 | ハンブルク:プロデューサー・ギャラリー ミュンスター:ヴェストファーレン芸術・文化史郷土博物館 ミュンヘン:クンストラウム |
| 1992年 | ブラウンシュヴァイク芸術協会(ウルリヒ・ゲルリヒと共催) ハンブルク:クンストハレ バーデンバーデン州立クンストハレ |
| 1994年 | ミュンヘン:ダーニエール・フスバン カッセル芸術協会 |
| 1995年 | ベルリン:daad ギャラリー |
| 1996年 | ケルン:ギャラリー・レッカーマン コットバス:ブランデンブルク美術コレクション ミュンヘン:クンストバウ、市立レーンバッハハウス美術館ギャラリー デュースブルク:ヴィルヘルム・レーンブルック美術館 |
| グループ展(抄録) |
| 1981年 | 「ベルリン・情況」ニース:美術館現代美術ギャラリー |
| 1982年 | 「Kansla och Hardhet」ストックホルム文化会館
| | 1983年 | 「モンテヴィデオの対角線」アントウェルペン 「劇場にて」ベルリン:ヘッベル劇場 |
| 1984年 | 第5回シドニー・ビエンナーレ 「ここから」デュッセルドルフ |
| 1985年 | 「1945-85 ドイツ連邦共和国の芸術」ベルリン国立美術館 |
| 1986年 | 「イェーナ公園彫刻」ハンブルク |
| 1987年 | 「彫刻と絵画」ロンドン:ICAギャラリー 「彫刻の並木道」ベルリン 「ベルリン・アート1961-1987」ニューヨーク近代美術館 ドクメンタ8、カッセル 「彫刻プロジェクト」ミュンスター |
| 1989年 | 「90年代のために」ミラノ:現代美術館 「視点」モントリオール:現代美術館 「イン・ビトヴィーン・アンド・ビヨンド:フロム・ジャーマニー」トロント:ザ・パワー・プラント |
| 1990年 | 第8回シドニー・ビエンナーレ |
| 1991年 | 「メトロポリス」ベルリン:マルティーン・グローピウス・バウ 「告発」ルーアン:ダルネタ、チーズ工場、バルセロナ:サンタモニカ・アート・センター |
| 1992年 | 「ブロック・コレクション」コペンハーゲン国立美術館、ヘルシンキ:現代美術館、レイキャビック:リスタサフン島 |
| 1993年 | 「見知らぬホテル」アールス:美術館 |
| 1994年 | 「明後日」リスボン:ベレン文化センター |
| 1994-95年 | 「そこの間」ブリュッセル:アルバート・ボルシェット・センター、ゲーラ、美術コレクション、ベルリン:ハウス・アム・ヴァルトゼー 「焼けた全体」ワシントン・プロジェクト・フォー・アーツ、ボストン:現代芸術協会 |
| 1995年 | 「Orient/ation」第4回イスタンブル国際ビエンナーレ |
| 1996年 | 「Quo vadis?」カッセル 「歴史の顔」パリ:ポンピドゥ・センター |
| 演劇関連 |
| 1996年 | 『早朝』(エドワード・ボンド作) 演出:マレーネ・シュトレールヴィッツ 舞台装置:オーラフ・メッツェル 衣装:カローラ・ブランデス 上演:ケルン劇場機械工房 |
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| 1956年 | オルデンブルクに生まれる |
| 1990年以降 | アムステルダム国立造形芸術アカデミーで教える |
| 1996年現在 | デュッセルドルフに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1979年 | 「リュツォウ通、シチュエーション2」ベルリン |
| 1981年 | ベルリン:(サブ)カルチャー美術館 |
| 1982年 | ブレーマーハーフェン:現代芸術陳列室 |
| 1983年 | 「空間装飾」ケルン:モルトケライ |
| 1987年 | アムステルダム、アペル財団 |
| 1991-92年 | 「パノラマ・ヘルマン・ピッツ MCMXCI」ロッテルダム:ヴィッテ・デ・ヴィズ現代芸術センター、ミュンスター:ウェストファーレン芸術協会、ブラウンシュヴァイク芸術協会、トリーノ:カステッロ・ディ・リヴァーラ |
| 1992年 | ハノーヴァ教区賞、ハノーヴァ教区美術館 |
| 1993年 | 「舞台稽古」ベルリン国立美術館 「Libros y Obras」バレンシア:IVAM Centre del Carme |
| 1995年 | 「場・事件」シュトゥットガルト:ヴュルテンベルク芸術協会、ブリュッセル:美術宮殿展覧会協会 「鏡像」ベルリン:ギャラリー・フランク+シュルテ |
| 1996年 | 「3つの球」ボーフム:芸術協会ケルマーデ・ハウス |
| グループ展(抄録) |
| 1980年 | 「地下鉄の駅、3番線の新演出、ライムンド・クマー、ヘルマン・ピッツ、フリッツ・ラーマン、4月3日、4:15-0:47」(3人の着飾った男)ビューロー・ベルリン |
| 1981年 | 「今日のドイツ美術(蒸気杭打ち機)パリ市立近代美術館 |
| 1983年 | 「劇場にて」ビューロー・ベルリン/へーベル劇場 |
| 1986年 | 「ベルリン劇場:ある制作概念」(フリッツ・ラーマン、ライムント・クマーと共に)、ベルリン:ベタニエン・キュンストラー・ハウス |
| 1987年 | 「ベルリン芸術 1961-1987」ニュヨーク近代美術館 カッセル:ドクメンタ8 |
| 1988年 | 「アペルト88」ヴェネツィア・ビエンナーレ |
| 1989年 | 「劇場の庭:動物寓話」ニューヨーク:PS1 |
| 1990年 | 第8回シドニー・ビエンナーレ |
| 1991年 | カッセル:ドキュメンタ9 |
| 1992年 | 「ブロック・コレクション」コペンハーゲン国立美術館、ヘルシンキ:現代美術館、レイキャビック:リスタサフン島 |
| 1993-94年 | 「人間世界:インテリア」フランクフルト:ポルティクス、トリーノ:カステッロ・ディ・リヴァーラ ノリッジ:ノーフォーク芸術協会、シュトゥットガルト:ヴュルテンベルク芸術協会、ミュンスター:ヴェストファーレン芸術協会 |
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| 1941年 | 北ボヘミアのカイザースヴァルデに生まれる |
| 1956-61年 | マイセン国立陶芸工房で陶芸作家として教鞭 |
| 1963年 | ドレースデン造形芸術大学(彫刻科)に在籍 |
| 1964-66年 | マイセンで石工 |
| 1967-69年 | ベルリン芸術アカデミー職業学校でフリッツ・クレマーのもとで学ぶ |
| 1968年 | ソ連に3ヶ月間研修滞在、エーリク・ブラトフとイリア・カバコフに出会う |
| 1970年以降 | ドイツ民主共和国の公的な芸術界からは身を引いて仕事をする |
| 1970-71年 | ドイツ民主共和国の現実を描写するための厚紙彫刻 |
| 1980年 | ダンテ『神曲』素描への最初の取り組み |
| 1980-81年 | 人間の影から影の彫刻への物質化 |
| 1982年 | ネガ彫刻:彫刻の型、そこでは人間の身体/人間の顔が空虚な形として実在する |
| 1983-84年 | 腰掛けた老人の記念碑的彫刻のための型 |
| 1985-86年 | ダンテに再び取り組む |
| 1987年以降 | 厚紙彫刻と混凝紙による脆く空虚な彫塑的なオブジェへの展開 |
| 1996年現在 | ベルリン在住 |
| 個展(抄録) |
| 1977年 | ベルリン:ギャラリー・ユルゲン・シュヴァイネブラーデン |
| 1982年 | ベルリン:ギャラリー、イム・トゥルム |
| 1988年 | ベルリン:MORAとギャラリー・マンフレート・グレスラー |
| 1990年 | トリーア:アトリエギャラリー |
| 1996年 | ゲルリッツ:オーバーラウジッツァー芸術協会 |
| グループ展(抄録) |
| 1971年 | ドレースデン:ガルテンハウス ホフマン通46、Dr.E.ゲプラー |
| 1972年 | 「マイスターシューラー」ベルリン:芸術アカデミー |
| 1973年 | 「基礎にあるもの」ドレースデン:「ツァイト・イム・ビルト[絵画の中の時間}」ビル(A.R.ペンクと共に) |
| 1976年 | ベルリン:ギャラリー・ユルゲン・シュヴァイネブラーデン(ローベルト・フィリウと共に) |
| 1981年 | カルル・マルクス・シュタット:ギャラリー・オーベン |
| 1981年 | ベルリン:オットー・ナーゲル・ハウス |
| 1982,83年 | ブランデンブルク:ドームシュティフト |
| 1989年 | ベルリン:MORA |
| 1990-91年 | ドレースデン:アルベルティヌム、ハングルク:ダイヒトーアハレン |
| 演劇関連 |
| 1977年 | 『R.ホット或は熱さ』 フリードリヒ・ゴルトマン作の室内歌劇 台本:トーマス・ケルナー 音楽監督:フリードリヒ・ゴルトマン 舞台装置・衣装:カルルハインツ・シェーファー 上演:ベルリン、ドイツ国立歌劇場 |
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| 1954年 | オルデンブルクに生まれる |
| 1973-81年 | デュッセルドルフ美術アカデミーで学ぶ、フリッツ・シュベーグラーとゲルハルト・リヒターに師事 |
| 1996年現在 | デュッセルドルフに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1979年 | デュッセルドルフ:ギャラリー・アルノ・コーネン パリ:ラ・ヴィトリーヌ |
| 1980年 | ミュンヘン:ギャラリー・リューディガー・シェットル |
| 1981年 | デュッセルドルフ:ギャラリー・コンラート・フィッシャー |
| 1983年 | チューリヒ:ギャラリー・コンラート・フィッシャー |
| 1984年 | リヨン:ギャラリー・フィリップ・ネルソン アテネ:ギャラリー・ジーン・ベルニール |
| 1985年 | アントウェルペン:ギャラリー・ミシェリーヌ・スワイサー |
| 1986年 | クレーフェルト:ハウス・ランゲ美術館 パリ:ギャラリー・クルセル・ウスノ |
| 1987年 | ミュンスター:ヴェストファーレン郷土美術館 アムステルダム:オーヴァーホラント美術館 |
| 1988年 | バーデンバーデン国立美術館 ミラノ:ギャラリー・クリスティアン・スタイン |
| 1989年 | クラムシー:クラムシー美術館 アムステルダム:アペル財団 フタンクフルト・アム・マイン:ポルティクス シャンニー:ギャラリー・ペトロ・スパルタ |
| 1990年 | ベルン美術館 パリ市立近代美術館 アイントホーフェン:ファン・アッベ美術館 |
| 1991年 | カッセル芸術協会 |
| 1992年 | ハンブルク:ラウム・フュア・クンスト ヘント:ヴァン・ヘーデンダーク美術館 シュトゥットガルト:ヴュルテンベルク芸術協会 ニーム:現代美術館カレ・ダール |
| 1994年 | ハンブルク:クンストハレ シュトゥットガルト:ヴュルテンベルク芸術協会 ニーム:現代美術館カレ・ダール |
| 1995年 | ミュンヘン:社団法人クンストラウム オルデンブルク芸術協会 ロンドン:リッソン・ギャラリー 東京:ワコー・ワークス・オブ・アート リューベック:ザンクト・アンネン美術館 |
| 1996年 | ベルリン:ギャラリー・ゲバウアー&ギュンター デューレン:レオポルド・ヘーシュ美術館 ベルリン:daadギャラリー ベルン:ギャラリー・フリードリヒ ヴォルフスブルク市立美術館 |
| グループ展(抄録) |
| 1987年 | 「線描'87」ロッテルダム:美術財団 「空間イメージ」マドリッド:レイナ・ソフィア 「ジャクスタポジション」ニューヨーク:P.S.1 「委託により」エッセン:フォルクバンフ美術館 「彫刻家の素描」グラーツ芸術協会 |
「ドクメンタ8」カッセル ドルトムント、オストヴァル美術館 フランクフルト・アム・マイン:聖ペテロ美術館(芸術協会) 「彫刻プロジェクト」ミュンスター、ヴェストファーレン郷土美術館 「時代、モード、道徳、情念」パリ:ポンピドゥ・センター |
| 1988年 | 「理性の眠り」カッセル:フリーデツィアーヌム美術館 「ヨーロッパ・ナウ」プラート:現代美術館 |
| 1989年 | 「再び+再び」フタンクフルト・アム・マイン:ポルティクス 「戯曲」ミュンヘン:芸術協会 「クレーフェルトのための彫刻」クレーフェルト:ハウス・エステルス美術館 「時報」ボン:NRW造形芸術ステーション |
| 1990年 | 「遠望」クレーフェルト、ランゲ及びエステルス美術館 |
| 1991年 | 「精神の空間」ヴァレンシア:セントレ・デル・カルメ 「作品13」ボルツァーノ:現代美術館 |
| 1992年 | 「ドクメンタ9」カッセル |
| 1993年 | 「練習用ゲレンデ」ズール |
| 1994年 | 「形態、自然」ハノーファー:教区美術館 「素描」ロンドン:フリス・ストリート・ギャラリー |
| 1995年 | 「ヤヌス神殿」クレーフェルト:ヴィルヘルム皇帝美術館 「人間像」ベルリン:ギャラリー・ゲバウアー&ギュンター |
| 1996年 | 「距離」ワシントンDC:ハーシュホーン美術館 |
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| 1944年 | プラハに生まれる |
| 1963-64年 | ハンブルグ造形芸術大学で学ぶ |
| 1964-67年 | デュッセルドルフ、州立美術アカデミーで学ぶ、テオ・オットーに師事 |
| 1963-67年 | 舞台でのインスタレーション:ハンブルク:ドイツ劇場、ヴィーン:ブルク劇場、デュッセルドルフ劇場、ベルリン:ドイツ歌劇場、ザルツブルク音楽祭 |
| 1972-88年 | デュッセルドルフ国立芸術アカデミーでヨゼフ・ボイスに師事、彫刻研究と専門職業教育 |
| 1972-92年 | アメリカ合衆国、中国、ソ連に研究滞在 |
| 1990-92年 | ハンブルク造形芸術大学客員教授 |
| 1992年 | ベルリン芸術大学教授 |
| 1994年 | ドイツ批評家賞、ベルリン |
| 1996年現在 | デュッセルドルフ在住 |
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| 1952年 | シュヴェールテに生まれる |
| 1996年現在 | ケルンに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1983年 | ケルン:モーニカ・シュプリュート・ギャラリー ボン:ギャラリー・フィロメーネ・マーゲルス |
| 1984年 | ケルン:モーニカ・シュプリュート・ギャラリー ハンブルク:ギャラリー・アスカン・クローネ バーゼル:スタンパ |
| 1985年 | ボン:ライン地方美術館 |
| 1986年 | ベルン:ギャラリー・エーリカ・フリードリヒ ケルン:モーニカ・シュプリュート・ギャラリー |
| 1987年 | ミュンヘン:ギャラリー・ターニト ハンブルク:ギャラリー・アスカン・クローネ |
| 1988年 | ニューヨーク:近代美術館 バーゼル:クンストハレ ロンドン:ICA[現代美術研究所] リヴァプール:テイト・ギャラリー ニューヨーク:バーバラ・グラッドストーン・ギャラリー |
| 1991年 | バーゼル:現代美術館 ベルリン:新ベルリン芸術協会 ボストン:マーリオ・ディアコノ ボストン:現代美術研究所 バークリー:大学美術館 |
シカゴ:現代美術館 パリ:ギャラリー・サミア・サウマ パリ:ギャラリー・ブラショ・アメリオ |
| 1992年 | マドリッド:国立レイナ・ソフィア・アートセンター美術館 ケルン:ルートヴィヒ美術館 ハンブルク:ギャラリー・アスカン・クローネ ヘルシンキ:現代美術館 ケルン:モーニカ・シュプリュート・ギャラリー |
| 1993年 | ティルブルク:デポント財団 パリ:ギャラリー・アンヌ・ド・ヴィルポワ ケルン:芸術停車場ザンクト・ペーター ミラノ:カーセ・ダルテ ブリュッセル:ギャラリー・クサーヴァー・フーフケンス |
ブレーメン:ヴェーザーブルク新美術館 ウェリントン:シティ・ギャラリー ミュンヘン:ギャラリー・ターニト ルンド:アンデルス・トルンベルク・ギャラリー |
| 1994年 | ナポリ:ギャラリー・ルーチョ・アメリオ ケルン:モーニカ・シュプリュート・ギャラリー シドニー:現代美術館 ヴィーン:応用美術館 ジュネーヴ:現代美術センター サンパウロ:ビエンナーレ ニューヨーク、バーバラ・グラッドストーン・ギャラリー |
| 1995年 | ケルン:ギャラリー・フォイエリー・アンド・ルイス・デ・ビラ クレーフェルト:ハウス・エステルス ベルリン:ギャラリー・シュプリンガー イェルサレム:イスラエル・ミュージアム |
| グループ展(抄録) |
| 1985年 | 「アルス・ビバ 85/86」ベルリン:造形美術館 「強情な芸術」ヴィーン:近代美術館 |
| 1986年 | 「ゾンスベーク '88」アルンヘム |
| 1987年 | 「アートフォーラム・ヨーロッパ」ロンドン:テイト・ギャラリー |
| 1988年 | 「カーネギー・インターナショナル」ピッツバーグ:カーネギー研究所 「再形成された絵画:ドイツのイメージ 1960-83」オハイオ:トリード美術館;ニューヨーク:ソロモン・グッゲンハイム美術館 |
| 1989年 | 「画像論争」ケルン:メッセハレ |
| 1992年 | 「モダニズムのアレゴリー:現代の素描」ニューヨーク:近代美術館 |
| 1993年 | 「抵抗」ミュンヘン:ハウス・デア・クンスト |
| 1994年 | 「モデル、ダブル、同一性」アミアン 「他者との対話」オーデンセ 「マルティプルの世紀」ハンブルク:ダイヒトーアハレ |
| 1995年 | 「信用」グラスゴウ、市街電車の線路上 |
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| 1930年 | メクレンブルクのヴェンドルフに生まれる |
| 1949年 | 画家および広告画家としての修業 |
| 1949-53年 | ヴァイマール応用美術専門学校、のちにベルリン・ヴァイセンゼー美術アカデミーで学ぶ |
| 1953年 | 西ベルリンへ移住 |
| 1955-57年 | デュッセルドルフ美術アカデミーでオットー・パンコックのもとで学ぶ |
| 1957年 | 最初の釘絵 |
| 1961年 | 『沈んだ構造』(最初の光農園、最初の光映画) |
| 1971年 | ラテンアメリカに旅行、インディアン文化を学ぶ |
| 1973年 | 5ヶ月間のアフリカ旅行 |
| 1974年 | アジアに旅行 |
| 1976年 | デュッセルドルフ美術アカデミー教授 |
| 1996年現在 | デュッセルドルフに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1970年 | ブリュッセル:美術宮殿 |
| 1971年 | 「イメージ物体 1957-1970」ストックホルム:近代美術館 |
| 1972年 | ハノーファー:ケストナー協会 |
| 1974年 | ウッチ:ウッチ美術博物館 |
| 1975年 | エッセン:フォルクヴァング美術館 |
| 1976年 | シュトゥットガルト:州立ギャラリー |
| 1982年 | ベルリン:ナショナル・ギャラリー |
| 1983年 | ゴスラル:メンヒェンハウス美術館 |
| 1988年 | モスクワ:クリムウォール、中央芸術家センター |
| 1989年 | ウッチ:ウッチ美術博物館 |
| 1994年 | ヴェネツィア:カペサロ近代美術館 |
| 1995年 | 「北京への手紙」ベルリン:新ベルリン美術協会 |
| グループ展(抄録) |
| 1958年 | 「ゼロ I」デュッセルドルフ |
| 1964年 | 「ドクメンタ3」カッセル:フリーデリツィアーヌム |
| 1965年 | 「ゼロ 1965」アムステルダム:市立美術館 |
| 1968年 | 「ヴェネツィア・ビエンナーレ」 |
| 1969年 | 「第10回サンパウロ・ビエンナーレ」 |
| 1970年 | 「ヴェネツィア・ビエンナーレ」 |
| 1971年 | 「第11回サンパウロ・ビエンナーレ」 |
| 1979年 | 「第3回シドニー・ビエンナーレ」 |
| 1985年 | 「ドイツ連邦共和国の美術 1945-1985」ベルリン:ナショナル・ギャラリー 「20世紀のドイツ美術:絵画と彫刻 1905-1985」ロンドン:王立美術アカデミー |
| 1988年 | 「近代の諸段階」ベルリン:ベルリニッシェ・ギャラリー |
| 1996年 | 「エヌとゼロ、モートゥス……」ボルツァーノ:近代美術館 |
*演劇関係の仕事についても、数多く手掛けており、これまでに実現した舞台も多い。
| バレエの夕べ: |
『ワルツ/反映』 フランク・マルティーン作曲の小協奏交響曲にもとづく 舞台装置:ハインツ・マック |
『チェロ独創のための組曲1番ト長調』 ヨーハン・ゼバスティアン・バッハの音楽にもとづく 振付:エーリヒ・ヴァルター 舞台装置:ギュンター・ユッカー |
『重力』 プーランク作曲『オルガンと弦楽と打楽器のための協奏曲ト短調』にもとづく 舞台装置:オットー・ピーネ 上演:デュッセルドルフ、ライン河畔ドイツ歌劇場、1969年5月19日 振付:エーリヒ・ヴァルター、P.ボルトルッツィ 音楽監督:ローベルト・シャウプ、P.シュナイダー |
『レオノーレ』 作:ルートヴィヒ・ファン・ベートーベン ジャン・ニコラ・ブーイのフランス語にもとづく歌詞:ヨーゼフ・ゾンライトナー、フリードリヒ・トライチュケ 台詞:ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー 上演:ブレーメン、ゲーテ広場劇場、1974年6月16日 演出:ニコラウス・レーンホフ 音楽監督:ヘルマン・ミヒャエル 舞台装置/衣装:ギュンター・ユッカー |
『パルジファル』 作:リヒャルト・ヴァーグナー 上演:シュトゥットガルト、ヴュルテンベルク州立劇場演劇場、1976年3月12日 演出:ゲッツ・フリードリヒ 音楽監督:シルヴィオ・ヴァルヴィーソ 舞台装置/衣装:ギュンター・ユッカー |
『ローエングリン』 作:リヒャルト・ヴァーグナー 上演:バイロイト、祝祭劇場、1979年7月25日 演出:ゲッツ・フリードリヒ 音楽監督:エド・デ・ヴァールト 舞台装置:ギュンター・ユッカー 衣装:フリーダ・パルメッジャーニ |
『トリスタンとイゾルデ』 作:リヒャルト・ヴァーグナー 上演:シュトゥットガルト、ヴュルテンベルク州立劇場歌劇場、1981年3月21日 演出:ゲッツ・フリードリヒ 音楽監督:デニス・ラッセル・デイヴィーズ 舞台装置/衣装:ギュンター・ユッカー |
1981年 ベルリン、ドイツ歌劇場のためのオーケストラ舞台空間の制作
『バッコスの巫女たち』 ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ作の1幕物歌劇 エウリピデスの『バッコスの神女たち』にもとづく 台本:W.H.アウデン、チェスター・コールマン 翻案:マリーア・ボッセ=シュポルレーダー 上演:シュトゥットガルト、ヴュルテンベルク州立劇場歌劇場、1989年12月15日
演出:ゲッツ・フリードリヒ 音楽監督:ガルシア・ナヴァロ 舞台装置/衣装:ギュンター・ユッカー 振付:ヨーハン・クレスニク 照明制作:クルト・リュディガー・ヴォガツケ |
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| 1937年 | レーヴァクーゼンに生まれる |
| 1950-53年 | ケルンでリトグラフと工業芸術を学ぶ |
| 1955-56年 | パリ高等美術学校で学ぶ |
| 1957年 | デュッセルドルフ美術アカデミーで学ぶ |
| 1962年 | ヴィースバーデン第1回フルクサス・フェスティバル(ナム・ジュン・パイクやゲオルク・マツィウナスとともにフェストゥム・フルクシオールムに参加 |
| 1968年 | カーゲル、フォイスナー、ホイバッハらとともに、視覚音響事象研究のための「ラボール協会」設立 |
| 1971年 | ベルリンに移る HAB(ハプニング・アルヒーフ・ベルリン)設立 |
| 1973年 | ADA(前衛的アクション)をイェルン・メルカートらとともに設立 |
| 1976年 | スペインのエクストレマドゥーラにMVM(マルパルティダ・フォステル美術館)設立 |
| 1981年 | ノルドライン・ヴェストファーレンでフルクサス巡行 |
| 1982年 | マドリッドでパブロ・イグレシアス文化賞受賞 |
| 1990年 | メダイユ・ド・パリ受賞 |
| 1996年現在 | ベルリンと、スペインのマルパルティダに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1958年 | パリ:ヨーロッパで最初のハプニング |
| 1961年 | パリ:「頭内の太陽」ギャラリーへ |
| 1963年 | ニューヨーク:スモリン・ギャラリー |
| 1965-66年 | ベルリンでルネ・ブロックとともにハプニング、ニューヨークでもハプニング |
| 1966年 | ケルン芸術協会で最初の回顧展 |
| 1969年 | ミラノ:ギャラリー・シュヴァルツで「誘導/環境」展 |
| 1970年 | ケルン芸術協会で回顧展「フルクサスとハプニング」展 |
| 1972年 | 新ベルリン芸術協会で「災害」展、ハプニングとビデオ |
| 1974年 | パリ市立近代美術館で回顧展 |
| 1975年 | ベルリン:ナショナル・ギャラリーで回顧展 |
| 1978年 | マドリッド:現代美術館で回顧展 |
| 1980年 | ブラウンシュヴァイク芸術協会で、1954年から1979年までの画像回顧展 |
| 1982年 | カレー、パリ国立図書館、ストラスブール近代美術館で版画全作品回顧展 |
| 1990年 | ミラノ:ムディマ財団 |
| 1991年 | ダルムシュタット:ギャラリー・ミヒャエル |
| 1992年 | ケルン、ボン、レーヴァクーゼン、マンハイム、ミュールハイムで回顧展 |
| 1996年 | 第3回リヨン・ビエンナーレ ベルリン、ファイン・アート・ラファエル・フォステルで「3美神と青のシリーズ」展 |
| グループ展(抄録) |
| 1962年 | 「フルクサス・コンサート」パリ、コペンハーゲンなど |
| 1968年 | 「テレビ彫刻」ヴェネツィア・ビエンナーレ |
| 1977年 | 「第6回ドクメンタ」カッセル |
| 1983年 | サンパウロ・ビエンナーレ |
| 1986年 | 「並木道彫刻」ベルリン |
| 1990年 | ヴェネツィア・ビエンナーレ |
*これまでに演劇関係の仕事を数多く手掛けている。
『ハムレット』 作:ウィリアム・シェイクスピア A.W.シュレーゲル訳にもとづくハンスギュンター・ハイメ版 上演:ケルン、市立劇場演劇場、1979年2月17日 演出:ハンスギュンター・ハイメ メディア構想/舞台装置/衣装異化:ヴォルフ・フォステル 衣装実現:ヘレン・ファブリティウス |
『エウリピデスの「フェニキアの女たち」』 作:ヨッヘン・ベルク 上演:シュトゥットガルト、ヴュルテンベルク州立劇場演劇場、1981年4月30日(初演) 演出:ハンスギュンター・ハイメ 舞台装置/AV構想/衣装/ボディペインティング:ヴォルフ・フォステル |
『エンペドクレスの死』 フリードリヒ・ヘルダーリンの断簡 協力:デュッセルドルフ演劇場、エッセン演劇場、1990年2月1日、1990年3月3日 演出:ハンスギュンター・ハイメ 舞台装置/衣装:ヴォルフ・フォステル |
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| 1959年 | ベルリン近郊のヘニングスドルフに生まれる |
| 1979-80年 | ベルリン・ヴァイセンゼー芸術大学で学ぶ |
| 1982-84年 | ライプツィヒ版画製本大学で絵画を学ぶ |
| 1986-90年 | ベルリン芸術大学で絵画を学び、職業教育を受ける |
| 1988年 | カルルスルーエ貯蓄銀行奨励賞受賞 |
| 1990年 | ミラノ、ブレーラ美術アカデミー「壁の向こうへ」賞受賞 |
| 1991-92年 | ベルリン芸術大学若手奨励奨学金授与 |
| 1991-93年 | ベルリン、カルル・ホーファー協会アトリエ奨学金授与 |
| 1992年 | サン・セバスチャン記念カルル・ホーファー協会制作奨学金授与 |
| 1993年 | 社団法人ドイツ産業連盟、ドイツ産業文化賞「アルス・ヴィヴァ」受賞 |
| 1993-94年 | ベルリン市政府留学奨学金(モスクワ現代美術協会)授与 |
| 1994年 | ローマ、ヴィッラ・マッシモ奨学金授与 |
| 1995年 | シカゴでの制作奨学金授与 |
| 1996年 | ベルリン市政府制作奨学金授与 |
| 1996-97年 | ザルツブルク、ロイベ財団、在住制作プログラムに参加 |
| 1996年現在 | ベルリンに在住 |
| 個展(抄録) |
| 1990年 | ベルリン:ギャラリー・アンドレーアス・ヴァイス |
| 1992年 | 「逸脱」シュヴェービッシュ・グミュント芸術協会 |
| 1993年 | 「SLAWA」ザールブリュッケン市立ギャラリー 「インスタレーションと写真」ベルリン:ギャラリー・フォー、ギャラリー・アンドレーアス・ヴァイスで(K.エッレとともに) |
| 1994年 | 「流れと道」モスクワ:ギャラリー・ベライェーヴァ、ベルリン:ギャラリー・アンドレーアス・ヴァイス |
| グループ展(抄録) |
| 1992年 | 「浮遊」新ベルリン芸術協会 「壁の向こうへ」ミラノ:ブレーラ宮殿 |
| 1993年 | 「ビルバオ/ベルリン」ビルバオ:クンストハレ 「壁の後で」ピッツバーグ:カーネギー美術館 「レンタ賞」受賞展、ニュルンベルク:ノリス・ハレ |
| 1993-94年 | 「たとえば彫刻:アルス・ヴィヴァ 93/94」シュヴェーリン州立美術館、ハノーファー芸術協会、ボン芸術協会、マクデブルク美術館 |
| 1994年 | 「インターフェイス」ハイデルベルク芸術協会 「ハイデルベルクにマーキング:都市空間内プロジェクト」ハイデルベルク 「空席」ライプツィヒ、同時代美術ギャラリー |
| 1994-95年 | 「往復書簡:シカゴとベルリンからの14人の芸術家たち」ベルリン:ベルリニッシェ・ギャラリー、シカゴ:文化センター 「貯水池」ベルリン:貯水場 「親密な空間」ローマ:ヴィッラ・マッシモ |
| 1995-96年 | 「身体のロゴス」シュトゥットガルト州立新ギャラリー、ベルリン:アルテス・ムゼウム、タンペレ美術館、オスロ国立美術館、イェテボリ美術館、トリーノ:カステッロ・ディ・リヴォリ |
| 1996年 | 「新収品展」ベルリニッシェ・ギャラリー 「無国境」モスクワ 「バベルII」ローマ:ヨーロッパ・ギャラリー、ヴィッラ・マッシモ 「ミッシング・リンク」ベルリン:ギャラリー・クラウス・フィッシャー 「5x3:紙作品」ベルリニッシェ・ギャラリー |
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| 1954年 | 中国山東省生まれ |
| 1980-85年 | 北京で地下展覧会 |
| 1986-87年 | ベルリン、ベターニエン・キュンストラーハウス |
| 1988年 | DAADベルリン奨学金授与 |
| 1996年現在 | ベルリン在住 |
| 個展(抄録) |
| 1986年 | ハイデルベルク芸術協会 |
| 1990年 | ベルリン:チャイナ・ギャラリー |
| 1993年 | 「扇子」中国の万庄[WanZhuang]でのプロジェクト |
| 1994年 | 「風蓮」北京頤和園[Sommerpalast]でのプロジェクト |
| 1996年 | 「軽舟」ハノーファー:シュプレンゲル美術館 「雲?」リンツ:オッフェネ文化会館 |
| グループ展(抄録) |
| 1987年 | 「北京からの2人の芸術家」ベルリン:ベターニエン・キュンストラーハウス 「墨」ニュルンベルク:キュンストラー・ハウス |
| 1988年 | 「新しい空間」ミュンヘン:A11フォーラム、ギャラリー・トーマス |
| 1990年 | 「言葉/自由」ロッテルダム:文化センター 「美術小包」クーア:ビュンドナー美術館 「出会い」バート・ゼッキンゲン:芸術協会 |
| 1991年 | 「現代中国美術」ベルリン:チャイナ・ギャラリー 「暴力に対抗する芸術」ベルリン:シュタルケ財団 「ヨーロッパ文化の道」ブラティスラヴァ:ナショナル・ギャラリー、ブリュッセル、パレ・デ・ボザール、ベルリン:クンスト・ヴェルケ 「光の川」ベルリン:ルイーネ・デア・キュンステ 「亡命する中国美術」クラインザッセン:クンストシュタツィオーン 「自由な空気 I-II」ベルリン:ルーメ・ヴェーク |
| 1992年 | 「近代中国美術」ニューヨーク:ギャラリーZ 「現代中国美術館構想」ウッチ:芸術家美術館 |
| 1993年 | 「情意」ベルリン:世界諸文化の家 「1993年の中国美術」アシャッフェンブルク市立ギャラリー 「ナハトボーゲン[地平線下の天体軌道]」ベルリン:オーダーベルガー通2番地 「わたしの家はあなたの家」ウッチ:芸術家美術館 |
| 1993-94年 | 「フレキシブル:汎ヨーロッパ美術」バイロイト:オーバーフランケンハレ、ティルブルク:ニードランド・テキスタイル美術館、ウィルムスロウ:クォリ・バンク・スタイアル、ヴロツアフ:建築美術館 |
| 1994年 | 「パート2」ブランデンブルク:クンストホーフ・ドレーヴェン 「精霊降誕祭のひな型」メクレンブルク:シュロス・プリュショウ |
| 1995年 | 「開かれたアトリエ」ベルリン:カウチェンシュタイク 「親切な言葉」ベルリン:ルイーネ・デア・キュンステ 「トリエンナーレ6:小彫刻」シュトゥットガルト |
| 1995-96年 | 「身体のロゴス」シュトゥットガルト、州立新ギャラリー、ベルリン:アルテス・ムゼウム、タンペレ美術館、オスロ国立美術館、イェテボリ美術館、トリーノ:カステッロ・ディ・リヴォリ |
| 1996年 | 「音環境:聴と視のためのフェスティバル」ベルリン:芸術アカデミー |
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